水文 -吹奏楽のための
Hidrologia for Symphonic Band

中橋 愛生


「水文」とは、地球上での水の循環を指す単語である。
雨は集まり川となり、川は集まり河となり、河は集まり海となる。
そして海より気化した水は、天を彷徨い、再び雨として降り注ぐ。
絶えることのない、大いなる流れ。

だが曲は、この一連の流れを逐次追っているわけではない。
様々な「水の変容」は、順不同に、同時多発的に行なわれる。
思えば、水脈も一点のみが流れているのではなく、
全体として「畝っている」に過ぎないのではなかろうか。

これら「水の循環」は、そのまま人の営みにもなり得るだろう。
個人はもちろん独立したかけがえのない存在だが、
同時に観念的な捉え方もできる。それは水滴のようなものだろう。
多くの水滴が集まってできるライフストリーム《魂の帯》は、
果たして何処から還るのか。


曲の末尾は、一昨年、鏡野吹奏楽団の皆さんのために
書かせて頂いた「星を釣る海」に、意図的に似せてある。
いわば、一つの大きな変容体。
様々な表情を見せる《水》の行く末を楽しんで頂ければ幸いです。